おがちゃん16歳日記2


いつも俺は

独りぼっちだった。

すぐキレたり、

目立つことばかりして…

 

そんな自分がとても嫌いだった。

 

本当の仲間が欲しかった…

 

俺の新しいバイブルは北野武のヤクザ映画だった・・・

衝撃的な映像と熱い友情、仁義、

そして、ショッキングなエンディング・・・

大杉R、寺島Sは最高の俳優だ・・・

 

とりあえず悪いことは何でもしたよ…

してないのは、「殺人」と「痴漢」だけ…

もちろん「シャブ」もやってないけど、

ドラッグやハッパ系は目黒の友人に貰って試したっけな…

シンナーもステッカーもベルトも(資金集めの為に)いろいろサバいて、

ケンカの時に、ハサミやバットでいろいろ殴られたけど、

とりあえず今も一応

俺は生きている…

 



親友キんちゃん(真中下)は最高でした!! 

トレードマークは赤い靴下です!!

写真を撮られるといつもクセでにらんでしまいました・・・。いったい誰にメンタンきってたのでしょう?(笑)


初めて人を殴ったのって・・・いつだろう・・・

センコー(先生)殴ったことありますか・・・?

 

あまりなかなか経験をしない、出来ない、人を殴るということ・・・へたすれば少年刑務所・逮捕・犯罪。それを若さゆえに平気で行った行為。今、思えばいつも人を傷つけ自分自身ギリギリ でいっぱいいっぱいだった。一人じゃなにも出来なかったくせに・・・

初めて人を殴ったのは小学校6年だった。

初めての喧嘩は教室の中だった。喧嘩のきっかけはとても単純なことだった。私の髪の毛にセロハンテープを故意的にからみ付けてひっぱった事 でお互い取っ組み合いの喧嘩が始まった。
しかし、生徒の誰一人として喧嘩の仲裁には入らず、逆に、最後には私の方に3人の味方が付き、相手は1人で4vs1の喧嘩になっていた。 今思えば、流石に4人に殴られ、蹴られて奴も大変だったろう・・・。結局ケンカの最後は当時よくつるんでいた相方のローリングソバットで終わった。その凄まじいケリは見事に相手の顔面にもろヒットしていた。その瞬間、顔面を足の裏がとらえる瞬間は今でも目に焼き付いている。
 そして、そのとき初めて殴った時の感想も今でも覚えている・・・。
うわあ、 きたねえ!!手によだれが付いた」だった・・・・。

この喧嘩が私のこれからの人生を狂わすとは誰もしらなかった。結局私は小学校から中学校人生であんなにたくさん喧嘩をしたのに殴られた事は、先生以外一回もなかった。
それからずーっと自分の中であることを思っていた。

そう、「人って殴ってもそう簡単にはケガしないんだ。 死なないんだ。しかも、喧嘩はキレた物が勝ちだ

当時イジメがあった私の小学校はいつも誰かがどこかでイジメられていた(中学校もそうだったけど)。プロレス技が流行っていた為ほとんどが跳び蹴りやウエスタンラリアートなどで不意をついて相手にダメージを与えていた。ちなみに私は背中に跳び蹴りを数回もらって腰や背中を痛めたのを覚えている。

中学校になると自然に派閥、番長など目立った存在の人間達がグループを作っていた。それが”つるむ”ということだった。そこらじゅうで喧嘩があった 。うちの学校はだいたいは便所の中の喧嘩が多かった。ちなみに体育館裏ではない(笑)。私自身人を殴っていたのは便所が多かった。初めて 人に殴られたのも便所だった。ただ、初めてそいつは人を殴ったのであろう、腕、体、目すべてが震えていた。俺は思った・・・・「殴っといてびびってんじゃねえぞ

そして、中学校2年くらいからだんだん自分自 身エスカレートしていった。いわゆる本当の「不良」に。自分の学校だけではものたりず他の中学校、近くの場所 (公園)の縄張り、町中での喧嘩、学校の先生をも殴ろうとした(あのとき、私が先生の胸ぐらをつかみ左腕を引いた瞬間、つるんでいた相方が「尾形だめだ!やめとけ!」と言った。今、思えば相方にすごく感謝している)。あのときは、世の中で一番喧嘩が強いと自画自賛していた。でも、その反面、社会・規則の反発は ものすごかった。毎日のように職員室によばれ、校長室には呼ばれ、ズッキーニ(親父)はいつも先生達に頭を下げていた。いわゆる私はゴミだった。カスだった。しかし、不満・欲求は指導されればされるほど高まっていった。学校のガラスを割ったり(弁償金1枚6千円くらいだったかな?)、バイク・タバコ・夜中の集合・喧嘩・とりあえず目立つ事をしてストレスを解消していた ・・・・

毎日毎日、いかに早く決着がつけられる「ケンカ」ができるかを研究してた・・・

ケンカばかりをしていると自分の体力や腕力のレベルがだんだんわかってくる。(結果的に俺は決して強くないと思った。たまたまケンカしてきた奴が弱かっただけだった。)もっと詳しくいうならば、ケンカする前に「俺はこいつには勝てない」とか「こいつは余裕だな」とか不思議とわかったものだ。なんていうか、オーラが違う。いやケンカ慣れしてる奴はやはり強い。ケンカ好きな奴は自信も持っている反面、絶対に負けたくない と思っている。だから、ようは負ける喧嘩は絶対しない。(この業界は一回でもケンカに負けると噂がすぐ広まる。弱いとレッテルが貼られるのだ!)当時はボクシングや空手をやっている奴らはやはり強かった。何が 違うって、体力があり、相手をどうやって倒すかをよく理解している。カッときてむやみに殴り続けたり、顔ばかり狙っていてもダメだ。結果的には体力が持たないし、相手になめられる。やはり、戦争もそうだが ケンカは「戦略」と「作戦」がものをいう。頭を活用しなければいつかは負ける。毎回、毎回、一発殴って相手が倒れてくれればいいが・・・。(実際はそうもいかない・・・ パンチってなかなか当たらないんだよ!)だから、体力に自信がなかった私は、いかにケンカの相手の戦闘意欲を失わせることができるか?を研究していた。アゴを狙って脳しんとうを起こさせるとか、鼻ばかり狙って鼻血をださせたりとか、目の周辺ばかりを狙って殴るとか・・・。人間は普段感じない痛みや 普段見てない出血の量を見ると混乱し戦闘意欲をなくすものだ。もちろん疲れてきても意欲をなくす。だから、私はいかに体力を使わずに相手にダメージを与え、楽に勝利を得るかを考えていた・・・。
今思えばホントくだらない・・・(笑)

 

本当に言葉よりも、まず手を出した・・・

でも、楽しかったなあ。他の中学校でもそこそこ有名になり、 悪ーい友達も たくさん出来たし、 俗に言う悪い仲間達の「バック」も出来た。
バスに乗ってもいつも一番後ろの席で真ん中に座っていたし ね …。現・京成千葉中央駅から現・JR千葉駅までわざと歩いて喧嘩相手を探していたり。 (カバンには白テープを巻いて。)みーんな俺を見ろって感じですからねえ。恥ずかしいことだけど当時は誇りに思っていたんでしょうね。でも、昔も今も爆走族は怖かったですよ。 喧嘩をしてる時にシャコタンのマークUとゾッキーのバイクが数台来たときは流石にビビッた(笑)。若さは罪だな・・・。無謀だ・・・   

 

でも、高校生になってもつっぱっていた 私は、喧嘩も負け続け、ケンカはもう勝てないな、弱いと思った頃から喧嘩に「恐怖」を覚え、グリグリパーマもやめて身なりも普通になり、 目立たないように生活をしようとした・・・。そして、学校にも行かず、毎日雀荘にかよって、家の金を盗んでパチンコやって登校拒否していたある日に、親友に「尾形もシャバクなったな」と言われた 。
そう、あれから挫折してだんだん大人になって いったんだ・・・

 

そう、私はとても弱い人間 だったんだ・・・

でも、いい思い出になった・・・

教訓 「ケンカは妥協したら殺される」

口癖 「いつでも兵隊集めて、おめーんとこ行くから」

 

 「集団じゃなければ威張れない、ダメな弱い人間でいたくない」

「目をつけられたら、確実にヤられる…」


<おがちゃんの注意と経験談・笑>

ケンカの時に人の顔ばかりを殴ってると、

殴った手の指に相手の歯があたってとても痛いのよね・・・

よだれも血もつくし・・・

あと、だんだんと手首も痛くなるのよね・・・・


先輩に、生まれて初めて”さらし”を巻いてもらったあの日は、

とても気がひきしまる思いだった・・・

学ランとさらしをすると、 自然と気合いと迫力が違った・・・

                                  

16歳の時ヤスオ宅

  
 

★よく思い出すと、この頃はこの頃で面白かったし、別に後悔はしてませんね。あまり普通の人では経験できないことばかりしましたから。不良連中との深い友情、毎日のようにタムロして、シンナー (ハッパ)、タバコ、万引き、盗難、そして喧嘩。人を殴る痛み、傷つける悲しみ、身にしみて痛感しました。ただ、一つ言える事は、喧嘩・争い・憎し見合いは絶対にマイナスです。残るのは心の傷とつらい思い出だけ・・。喧嘩って繰り返しだからずーっと終わらないしね・・・イタチゴッコ。この時代をすぎて絶対に暴力はしないと誓いました(毎日笑顔でニコニコ)。自分が大人になってきて後輩達に争いの恐怖や苦しみを教えたいですね。でもいつか殺されると思った時、誰でも普通に生きたと思いますよ。絶対に・・・。

思い出すと「若さ」って無茶しますよね。今思い出すだけで私本人じゃないみたい・・・。ぞっとします。クレイジーとはこのこと。買い物行っても店員には人間扱いされないし、先生や学校の連中にはカス、ゴミ扱い。結局は一人ぼっちだったのに・・・

でも、今ではお金じゃ買えない経験なんで・・・・・・

 

…今思えば、他校の不良の団体さんや(学年が上の)悪い先輩たちの団体さんが、(私をヤろうと)毎日学校の校門の前や家の前で待ち伏せされた時期を思い出すと結構笑えます…よく、俺生きてたな…(笑)      

 

でも俺、ホントくそガキだったね。

生意気だったよな〜・・・

 

<親友モトイ談>

「おまえ、そのすぐキレる性格なんとかしろよなぁ・・・
それは
狂犬病だぞ・・・」

 


いつもツッパるって、体力いるよね…
バカみたい!!(笑)

          

俺は、授業は何回も潰したよ・・・

先生:「オガタ君が教科書を机に出すまで授業は始めません!」

そして、沈黙と無言の一時間・・・・

俺は一時間シカトして、天井を見たり、昼寝を繰り返していた・・・

女子生徒:「先生、私勉強したいです!」

今を思えば、本当にごめんない・・・

先生に何回「おまえはイカれてる!」と言われたことか・・・
 

 さよなら10代・・・そして 仲間たち・・・

 

〜高校時代の成績〜

停学  2回

無期停学(1ヶ月) 1回

登校拒否  1年弱

センコーの胸ぐら掴み、殴る未遂 3回

学校に親父の呼び出し 2回

校長室の呼び出し 2回
(この記録は学校創立初)

 

3年になってからは学校には30日しか登校してない…

だから3年のクラスは誰がいたのかも知らない。

たぶん、みんな退学したと思ってた ハズ。

でも、なぜ卒業できたかって?

夏休み、冬休み、春休み、

だけは登校させられたから・・・・

卒業適応登校日数1/3ギリギリで・・・

もちろん、一般の生徒とは完全に、

隔離されながら・・・

 


この頃だよね・・・ヤクザ(H原組)に目をつけられ

パチスロの代打ちを毎日させられたの・・・

学校も行かず、毎日、麻雀かパチスロ・・・

結局、縁を切るのに・・・

スナックのママ(Y崎様)が助けてくれたっけ・・・

 

人生ヘタすりゃ鉄砲玉・・・

 

感謝してます・・・

でも俺、本当はめちゃくちゃ

寂しかったんだ・・・


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そしてその後、俺は生まれ変わりました。

更生されて指導されて、

立派な 社会人となるために・・・

 

…そう、つっぱりは、

真面目じゃないと

真っ直ぐじゃないと

つっぱれないんだよ…

 

そして、 もう二度と拳は使うことはないだろう・・・

 

 

 

そして、数年後には、

毎日頭をぺこぺこ下げる「サラリーマン」になっているとは…


 


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